家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

すこやかなる親孝行

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子どもが8kgになった。 8kgといえば、ドッグフードの大きいやつとか缶入りの菜種油とか複雑な三輪車とか、それらと同じくらいだ。そして、目安としてのおむつサイズが SからMへ変わる時期でもある。

 

Sサイズが約80枚入りなのに対し、Mサイズは約60枚入り。数だけで言えば25%の減量。その減り具合を例えるならば、自分たちが幼少の頃のポテトチップスと現代におけるポテトチップスの量くらいと言えば理解に苦しくないだろう。

 

さて、そんな小憎たらしい天使は今日も部屋の中を縦横無尽に這いずり回る。その這いずり具合を例えるならば、夜の営みに応じない妻に対し諦めのつかない夫が布団の中でモゾモゾする光景と言えば理解に苦しくないだろう。抱っこをしながらそのずっしりとした感覚を自分の腕に確かめ、ハッキリしてきた顔立ちも含めとても喜ばしい気持ちになる。

 

悪気のない相手を責めてはいけない。子どもがボタンと呼ばれるボタンを押しまくるようになった。 それにより温かかった部屋が一瞬にして極寒になったり、誕生ケーキのロウソク消しよろしく、急に部屋が暗くなったりする。そんな行動に対しツッコミを入れながらも 、健やかに育ってくれればそれだけでいい、と親なら誰もが思うであろうことを願ったりする。健やかに育ってくれればそれだけでいい。でもそれは多くの場合嘘だ。どこかのタイミングで子どもにアレコレ求めたり期待を掛け始めたりするのが親の辿る道。

 

以前どこかで聞いたことがある。多くの親が子どもに注いでるのは愛情ではなくでエゴであると。あれはマトを得ていると思う。自分自身もたぶん親が注いだ愛情なるエゴによって今の人間性のベースが築かれている。ただ大人になるにつれ、当時の親のエゴに段々と気付きだし、これは違うなといったものを少しずつ排除していった感がある。親孝行とは親が喜ぶことをするのと同時に、違和感を感じた親の一面を引き継がないことでもある。そう思うようにした。将来子どもにもそのように振舞って欲しいが、それ自体きっと自分のエゴに過ぎない。

 

子どもが可愛いのはあたりまえ。その愛しいと思う感情以外で、子どもの誕生によって 自分の中のナニが変わったのかを全ての大人が表現できるようになったら素晴らしいことだと思う。自分においては、空が青いなとか葉っぱが緑だなとか、そういう身近な光景に気付けるようになったことが大きい。言葉だけ聞くと ごくあたりまえのことだけど、 でもきっとそういうことなんだ。

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