家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

子どもの名前を考えて寝不足になる幸せ者

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子どもが親孝行を果たせるのは6~7歳くらいまでという話を聞いたことがある。なんでも、生まれる前、生まれてから、そして小学校に上がるときまでに、親になった喜びというものを与え尽くすからというのがその理由らしかった。

 
たとえば生まれる前。名前は何にしようかとウキウキしながら、「子どもの名前図鑑」などを夜な夜な読み耽け候補の名前をノートに下書きしたりする。たとえば生まれてから。ただそこにいるだけで、ただ笑っているだけで、「かわいい」という言葉をつい口にしてしまう。今まで自分はナニかに対しこのような感情を持ったことがあっただろうかと自問したりする。

たとえば小学校に上がるとき。子どもの晴れ舞台にはどんな服がいいだろうか。運動会の雄姿をおさめるには最高のキャメラが必要だろうな、などと最新のパンフレットを夜な夜な読み耽る日々。つまり、子どもの成長都度、言葉には尽くせない人生の喜びを味わっているのは間違いない。

お互いが年齢を重ねた家族間で、親孝行をしてくれないとか親孝行が足りないといった話をたまに聞いたりする。ただ、そこに今回の話を当てはめるならば、その不満自体、マトが外れているのかもしれない。「親孝行の賞味期限は幼少期でとっくに切れている」。それを基本にしてしまえば、訳のわからぬイザコザはなくなっていく。そう考えられなくもない。

5年くらい前、母親の誕生日に何をあげたらいいか本当に浮かばず落ち込んだ時があった。これだけ長く近くにいるのにそんなことすら分からないのかという落ち込みだった。迷った結果、じゃあ俺自身を届ければいいじゃないかという考えに至り、急遽帰省することにした。今思えば、あれは最高の親孝行だった気がする。

自宅に着き、ひっそりリビングに入ったとき、母親は当時流行りの韓流ドラマをビデオに録ってまで見ている最中らしかった。戸棚には、我々兄弟の幼い頃の写真をはさんだ立てより手前に、韓流スターの写真立てが置かれていた。なんとなく複雑な気持ちになった。

まあとにかく、子どもというのは6歳や7歳くらいまでの間に人生の喜びというものを親に与え尽くしているのだからそれ以上のことは求めるな、というのが今回の結論になるかと思われる。

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