家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

親孝行なチンピラ

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愛する我が子は今日も右手の親指をくわえながらうつ伏せてスヤスヤと寝ている。想像してみてほしい。自分の大好きなアイドルの寝顔ブロマイドが手に入ったとしたら。きっと天にも昇る気持ちに違いない。そう。自分は毎朝天に昇っているようなもの。親孝行な天使め。

 

さて、子どもの別名は「チンピラ」ではないかと思う。たまに自分が家でギターを弾いていると、ふと手を伸ばしてきてピックを寄越せと強要してくる。あまりにもしつこいから仕方なく渡すと、しばらく口の中に入れ唾液をたっぷりと付けたあと、そのピックをこちらに差し出し、「これで弾き続けろ」とメンチを斬ってくる。そのあいだ子どもは一言も発していない。何も喋らずにこれだけの負荷を相手に掛けるなんて。チンピラ、いや、どチンピラの領域ではなかろうか。

 

子どもができたら何事に対しても、「今以上にしっかりしなければ」と思うのだと予想していた。しかし、実際は逆をいっている。いかにくだらなくユニークなおっさんで在れるかにフォーカスしている。ここでいうユニークとは面白いとか珍しいとかいうことではなく、「その人として生きているか」という意味合いになる。ユニークでない親に育てられた子どもはある意味とても可哀想。

 

我々親の個人的趣向を教育などと称して安易に押し付けないようにしよう。今はそう考えている。その趣向にしても結局は我々の親やその先代の枝分かれに過ぎないのかもしれないわけで、実際のところ子どもには何の関係もない。「それでお前はどう思うんだ」。これを基本姿勢に据えて、まずは本人の考えを尊重することに徹したい。この子たちがこれから生きようとする時代は我々の生きてきたソレとはまったく異なるものになる。

 

親子や家族について多くの人はどのように考えているのだろう。親子とはやはり絶対的なもので、成長するたび「どちら似かな?」とまわりに訊かれる光景をあたりまえのものとするか。自分は子どもの存在によって家族の在り方などを疑うようになった。でもこの疑いは決して悪いものじゃない。そんな自分の変化を嬉しく思っているのも事実だし。

 

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