小さな恋のメロディ
高校2年の頃、恋をしました。
「本気」と書いて「マジ」でした。
田舎の方から長い時間掛けて自転車通学をするそのいたいけな姿に惚れてしまったのです。由緒ある乗馬クラブに属する彼女と、日々指をくわえボーっと過ごしているようなボクでは、住む世界がまったく違うように思えました。
ボクは「告白」と書いて「コクル」と読むものをすべく、修学旅行先で買ったミッキーとミニーのオルゴールを手に持ち、約束の場所へ向かうところでした。玄関を開けた瞬間、実家の電話が鳴りました。彼女からでした。
間に合いそうにないんだ。次でいい?。
彼女の声は本当に申し訳なさそうでした。
しかし、ボクと彼女に次はありませんでした。
しばらく経ったある日、彼女が誰かと付き合いだしたという情報を小耳にはさみました。今に至るまでずっと感じています。こういう大事な情報にかぎって、なぜいつも間接的に入ってくるのだろうかと。悔しい、悲しい、ウソだろ?。同時にいろんな感情が芽生えたのを思いだします。
もしあのとき、どうしても今日会っておきたいんだと言えたなら、今とは違った自分を、今とは違った人生を生きていただろうかとふと考えたりします。こういった気持ちを、多くの大人は「後悔」という言葉で括っているのでしょうか。彼女は元気にしているだろうか。歯科衛生士にはなれたのだろうか。
ただ、これらの経験を踏まえて思うこと。それは、今の自分が1番幸せであるという事実。なぜなら今までの決断すべて、たぶんこれが1番いい道だと思って選んできたはずだから。「これは2番目にいい道だけど今日はその2番目を選んでお~こう」とはしてこなかったはずだから。結果として不幸と感じる今を生きることはあります。でもすでに述べた理由から、やはり今の自分が1番幸せ者なのです。
それは違うよと言う人がもしいたら逆に、「その都度自分と対話してこなかったんじゃないですか」と訊きたいと思います。幸せという言葉はフワフワしていて、なんだか好きではありません。ただ、乗馬クラブのあの子には幸せになっていてもらいたいと切に願います。高校2年の頃、たしかにボクは恋をしました。本気と書いて「マジ」だったのです。