センスセンス言うてから
あまりにも多くの人が他人のセンスにケチをつけたがる。ちなみに、My辞書によるとセンスとは、「人生で経験してきたあらゆることを本人がどのように解釈し今に至っているかを端的に示したもの」と出る。
センスを大きく分けると、言葉などによる直接表現と服装などによる間接表現がある。センスを著しく否定されると人はその相手に対し憎しみを抱く。場合によっては、おまえの母ちゃんで~べそ、などと言って抗戦したりもする。要は人間社会の縮図とも言えるため、センスという言葉を迂闊に使うのは若干リスキーである。だが、そういうリスクを冒してまで多くの人が使い続けるにはきっとそれなりのワケがあるはずだ。
以前どこかで聞いたことがある。攻撃されることに極度に怯える人間はその反動から過剰な攻撃心を持つと。家庭環境や教育環境の中で蓄積されていくナニかだろうか。他人のセンスに口を出す人間もある意味これに近いのかもしれない。ただ、ここで我々は一人の人間を反面教師にすることが可能だ。双子にしてオカマの某ファッション評論家である。
他人のファッションセンスにいつも辛口を振るってはいるが、実のところ日本中の多くが彼女の服装は新種の民族衣装だと思っている節がある。ああなりたいのなら別に構わないが、人生はまだまだ長いのだから、わざわざその過酷な道を選ばなくてもいいような気が俺はする。
多くの人間がセンスセンスと連呼しちゃいるが、結局のところ「あなたはあなたで私はわたし」とごくあたりまえのことを言っているに過ぎない。つまり、自分はセンスが悪いのだと落ち込む必要などこれっぽっちもないし、彼だか彼女だか分からないあのピンクにどれだけ批判されたとしても、決してタマまで取られることはないのだから、安心して我が道を行くべきなのであ~る。