家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

人が亡くなる瞬間に立ち合うこと

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今日はある人の命日。その人には写真でしか会ったことがない。その人のお嬢さんを今大切にお預かりしている。当時38歳だったらしい。自分も今38歳だ。可愛くて仕方のない育ちざかりの子どもとこの歳にしてお別れするのはとても寂しい。

お父さんは髪質がとても硬く、セットに3時間ほどかけていたと聞いている。本気と書いてマジと読むが、きっとお父さんはそれほど本気でお母さんをオトしに掛かったのだと思う。結果、今という環境に行き着いた。

 

お父さんはしばらくのあいだキツいのを我慢していて、たまらず病院に行ったら余命幾ばくかと告げられたらしい。そんなに我慢しなくても良かったのに。多くの人はそう言うかもしれない。でもそれは結果論だ。自分に置き換える。そこまでキツいと思うことはないけど、日々の中で調子が悪いことは多々ある。そのたびに病院に行っていたらラチが明かない。できることはただ、自分の知っている自分の体の傾向と相談しながら最善を尽くすことだけ。

 

年に1・2度、線香を上げに行く。彼の存在がなければ嫁の地元に行くことはそうないのかもしれない。線香を上げるたびにお母さんは言う。「お父さんが生きていれば慎也くんとお酒を飲みたかっただろうな」。それはきっとどこの父親も願うこと。たまたま自分にも娘が生まれた。数年後、同じように思うはず。つまりそれは普遍なのだ。「娘の結婚に反対する父親」というのはマスコミが作り出したファンタジー。そう思わなくもない。

 

人が亡くなる瞬間に立ち会ったことがない。できれば一生立ち会いたくないと思う。最初に立ち会う死は両親のいずれかだろう。最も立ち合いたくない死は母親で、きっとこれも普遍の一つ。幼いころ自分の手を引いて歩いてくれたあの母親が、とてもか弱く、息をしているのが精一杯という姿を見たくない。心の拠り所であった母親がこの世からいなくなる現実を受け入れたくない。でも、それは叶わない。

 

死について、父親は以前こう言っていた。「葬式などあげず誰も知らない所へ骨を撒いてくれ」。とても彼らしい言葉だと思う。自分の正義感をしっかり持っていて、きっとその正義感は間違っていなくて、本当はとってもユニーク。でもそれを共有できる場をあまり持てなかった。そんな一人の男性の強がりを的確に表現していると思った。孫ができた今でもそのように思っているだろうか。とにかく、嫁のお父さんが遺したこれらの財産を大切に、これからの人生をより良く生きていこう。

 

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