店は空いているのに席は空いていない
世の中には悲しいことが多すぎる。
客が帰ってずいぶん経つ飲食店にていつまでも食器が下げられない光景もその一つ。
ぼくたち、このままなのかな。
もうみんなと会うことはないのかな。
お空の向こうから声が聞こえるよ。
もうすぐであっちの世界へ旅立つんだね。
愛犬パトラッシュへ語りかける主人公ネロのように、そんなセリフが食器たちから聞こえてくるよう。
以前、比較的空いていた店に入った。いくつかのテーブルに残る食器がまず気になった。聞くところによると、たまたまピークの直後ということだったので、とりあえずその状況は見過ごすことにした。
厨房で出来上がった料理を店員が客のもとへ運ぶ。何度も何度も。そのあいだ、テーブルから食器が引かれることはない。なぜ手ぶらで帰るのだろう。気付いていないのか。いや、そんなことはない。さっきまで忙しかったはずなのだ。つまり、それだけ自分たちがモノを運んだわけで。彼らは若くして痴呆症なのか。
しばらく経っても状況は変わらなかった。10分もすると新たな客が入ってきはじめた。「店は空いているのに席は空いていない」。皿が下げられるのをじっと待つ客たち。想像したオチが想像通りにやってくるような漫才を見せられた気分だった。
会計を済ませようとレジで順番を待った。レジの手前に「お客様ご意見箱」なるものが置いていた。匿名で悪口を連ねるという現代社会の縮図みたいなことはしたくなかったが、匿名でも何でも、先ほどの現状をあのままにしておくのはどうなのか。言葉を書き連ねようと決心した。だがしかし。ご意見箱に入れるべき紙、および鉛筆が見あたらなかった。
世の中には悲しいことが多すぎる。その最たるものは、楽しい時間を過ごすはずの場所でやり切れない気持ちを抱える瞬間である。