靴ひもを結んでぼちぼちと
高校球児の涙を見るとつい誘われてしまう。
彼らが流している涙は、単純に結果に対して、一緒にやってきた仲間に対して、応援してくれた人たちに対して、いろんな意味を含んでいるに違いない。その最たるものは家族なのだろうけど。
それら経験はこれから生きていく上での大きな財産。人生良いことばかりではないから、目に見えない不安なナニかに襲われてしまうことが多々ある。そんなとき支えになるのは、「あのときあれだけ頑張れた自分がいる」という自負ではなかろうか。
幸い自分の場合には音楽があった。結果として思い描いていたような実力や形は伴わなかったけど、一つのことに夢中になれた自分がいたんだから、という気持ちが今も心のどこかで生き続けている。
少年時代。一人でザリガニ捕りに夢中になって気付けば夜だった。プラモデル作りにひたすら熱中して気付けば朝だった。好きな子を監視して気付けば完全に行動を把握した、などなど。
形どうあれ、過去に打ち込めたものがあってそれをやりきったという経験があれば、そこを足場に少しだけ辛い今を乗り切れる気がします。多くの大人たちへ。