家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

思い出の中のあなた

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数年前、自分と嫁のばあちゃんが両方逝った。
葬式前夜、ばあちゃんの作る手料理の話が両家で出た。

 

嫁のばあちゃんの十八番は魚肉ソーセージのソテーだった。なんでも、娘や孫たちがばあちゃんと同じように魚肉ソーセージを焼いても表面がカリカリになるばかりで、ばあちゃんが作るソレの持つしっとり感を出すことができなかったのだとか。その隠しスパイスがバターであったことを次女だけが知っていた。

 

それを聞き自分のばあちゃんを思った。彼女の十八番はカレーライスだった。孫が集まったとき、満場一致でリクエストとなるカレーライス。その隠しスパイスもたしかバターだった。母親ら三姉妹の出すことのできないばあちゃんだけの味。こういう話はどこの家庭にも存在するのだろう。そして葬式とはそんな話をする場に違いない。

 

手料理からなぜか末っ子の話になった。末っ子はデタラメというイメージはどこも共通しているらしい。末っ子である俺は、同じく末っ子である嫁のおじさんに前から思っていた個人的疑問をぶつけてみた。自分がすることに対し母親が反対したことはあったかと。おじさんは「ない」と答えた。やっぱりか。

 

今までの人生で母親にこれだけはやるなと反対されたことが一度もない。ただ忘れているだけかもしれないが、たぶんない。それが自分のことを信頼していたからなのか、それとも長男に肩入れし過ぎたことの反省がそうさせていたかは分からないけれど、とにかく自分は親に何かを反対された経験を持たない。手料理のときと同じように、こういう話もどこの家庭にも存在するのだろうか。

 

自分は十分に親孝行できただろうかと葬式の場で問う子どもたち。十分にできていてもできていなくても、幾ばくかの後悔は必ず残る。本人にその思いが伝わらなければ親孝行とは呼べないのかもしれないけれど、でも、亡くなったあとでその故人に思いを馳せるという行為は十分に親孝行を果たしていると言えるのではないかと思ったりする。

 

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