家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

対人論、浮気論、生命論

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嫁と付き合って8年になる。お互いに今38だから、私の30代はあなたでしたと言い切ることできる。これから、私の40代はあなたでした。私の50代はあなたでした。結果、私の人生はあなたでしたと言い切ることができたらどんなにいいだろうと今日時点は思っている。

 

出会いはその1年前。男女の集う飲み会だった。たまたま目の前に座ったのが嫁で、雰囲気が気に入り連絡先を聞いた。当時他の女性と付き合っていた。数年経った今でも嫁は言う。彼女がいるのに飲み会に行く人ってどうなの。新しい彼女ができてもまた同じように飲み会に行くんだろうって普通思うよね。

 

自分が飲み会に行くのは、単に人に会うためであって異性に会うためではない。この考えは昔から変わっていない。ただ、それが大人の男女の世界で通じないのは分かる。でも今さら人付き合いの方法を変えろと言われても酷な話。実際こうして出逢えたのだからいいではないかと諭してみるが、どうやら全快の納得は得られないらしい。女とは難しい生きものだ。

 

どこからが浮気かというテーマを世間は頻繁に扱う。個人的意見では、出会ったら浮気だ。Aを超えたら、Bを超えたら、Cを超えたら、みたいな境界線を引く回答は茶番だし、短絡的で品がないように思う。出会った時点で浮気の可能性はゼロではなくなる。仮に自分が浮気するとしても一夜限りにしておきたい。どんなパーティでもいつかは終わる。ズルズル引っ張り日常に潔く戻らないのはいかがなものか。

 

嫁とは良い関係が続いている。子どもができたことでその関係はより良くなった。子どもが笑顔を見せた時、嫁に言う。いいな~この子を産めて。この子を産んだ自分というだけで、ただそれだけで自信を持って生きていける気がするのだ。日々の子育ての中で自分に不甲斐なさを感じることもあるだろう。でもこの子を産んだという事実を考えたとき、他の些細なことはより些細なことへ変わるに違いない。

 

「俺たちはこの子に会うために生まれてきたんじゃないか」。そんな話を二人でよくする。俺たちがいたからこの子は生まれてきたわけではない。この子が生まれてくることは決まっていて、そのために俺たち二人は生まれ、そして出会った。普通に考えると時間の流れが逆になるけど、でも、いつか生まれる人間に会うためにその前の世代の人間は生まれてくる。それが真実のように思うのだ。

 

俺は命を大切にしようといったメッセージは発しない。それは心の中で思えばいいあたりまえの話だから。生前の手塚おさむが言ってたらしい。「これだけたくさんのことを画いてきたけど、結局は命を大切にしようというメッセージしかないのが悲しいところ」。これから生命はどのような形で大切にされていくのだろう。とにかく、子どもの存在を通じて命についてあれこれ考え出してる。そういう意味で嫁には頭が上がらない。これからもどうぞよろしく。

 

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