家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

友達は100人もいらない

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ある対談を見た。その両名はともに友達の少ない幼少期を過ごしたらしかった。友達の少ない子=社交性の劣った子という見方は多くの人が知らず知らずのうちに刷り込まれた洗脳のようなもの。

「友達100人できるかなの歌」は一体誰が作ったのだろう。友達は多い方が良いのだという悪しき暗黙の常識にあの歌は大きく加担している。

 

残念ながらというか嬉しいことにというか、自分は昔から友達が少ない。幼い頃、台所にちょこちょこやってきては、遊びに行かないのかと尋ねる母に、友達がいないのだと返していたらしい。大人になってからその傾向は益々顕著になっている。


理由は簡単で、人を選んでいるから。人生や時間は有限で、みんながみんなと付き合うのは物理的に無理。当然選ぶ必要がある。選ばない奴、選べない奴は人間関係に不満や不安を抱えながら余計な時間をダラダラ過ごしてしまう。そのくせ暇だ~と連呼していたりする。

 

大人になった今、友達と何を語り合うのがいいかとよく考える。一番は互いが学んだことだろう。学んだことをユーモアで包み、おもしろ可笑しく語り合う。今まではこう思っていたけど実はこうなのかもしれない。そんな発見を語りあえたらそれはきっと素晴らしいこと。何十年と生きてきて、その人なりの考え方を持っていたにも関わらずそれを覆すだけのナニかに出会ってしまったのだから、それは共有する値する価値の高い情報だ。

 

学ぶということは、日々進んでいなければならないし、新しい経験に首を突っ込んでいる必要もある。友人とはこんな話をした。「同窓会という場所に集う旧友は嫌いじゃないが、以前と同じ話をする奴は嫌いだ」。「地元は好きだが、時間が止まっているかのような雰囲気を見るとイヤになる」。つまり、変化のない相手とは情報の共有はしづらいということである。

 

本当に信頼できる友人がいればそれで十分。そこに規模は関係ない。いつも大勢と楽しそうにハシャいでいる奴はどこか胡散臭い。一人の孤独に打ち震える時間が怖くてそれを紛らかすために日々繰り出してるようにしか見えない。その孤独に打ち震える時間が長ければ長いほどその人は成長し、他人に優しくなれる。「人をちゃんと選べば人にちゃんと選ばれる」。友だちの少ない我はそのように思い、これからも学びながら生きてゆくのである。

 

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