家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

表現者の悲しみ

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不感症である。

 

おいおい、朝も早ようからこいつは何を言っているのだと感じたそこのあなた。そう、あなただ。人差し指を自分の顔に向けながら、えっ私のこと?みたいな顔をしてるあなた。そう、あなただ。誰もいるはずのない後方を振り返って、あ~やっぱりわたしのことかと納得した様子のあなた。そう、あなただ。

 

たぶんあなたもこちらの仲間で筋金入りの不感症に違いない。そしてこれだけ「あなた」を連呼できるのは日本中どこを見回してみても小坂明子か俺くらいなものだからしっかりと覚えておくように。

 

さて、ある曲の歌詞にこんな一節がある。
「何も感じない 何もかもを触れても」

 

多くの大人たちは実はこういう状態にあるのではないか。何も感じないのであればその事実を素直に受け入れればよいのだが、自分にかぎってそんなことはないと自身を言い負かそうとして余計苦しくなってしまってる人をたまに見掛ける。

 

知人の歌い手が以前こんな告白をした。「いつのまにか感じれる自分がいなくなってたのに私はこう感じてるよって無理して届けようとしてたら疲れちゃった」。それは辛かったろう。人としてとても不自然な状態なのだから。ファンの側からすると、元気になれる歌をいつもありがとう、だったのかもしれないが、彼女にしてみれば、ただただ虚しい日々だったと予想する。

 

不感症であることは悪でも何でもなく、それをひた隠しにすることのほうが自分裁判所での刑は重たくなる。わて、不感症ですねん。そう藤山直美ばりの口調で素直に表現すればその状況を脱するための手助けをしてくれる仲間がきっと現れるはずである。

 

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