家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

生徒と教師の信頼関係

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叱られるとき、教科書の角を頭に突き刺される。
我々と教師のコミュニケーションを取る手段の一つだった。

なぜ教科書の角だったのか。きっと手頃だったからだ。どうか一番痛い所に当たりませんようにと、つむらされた目をかすかに開け教科書が振り下ろされるタイミングを窺った。

 

級友たちはその光景を見ながら叩かれた彼を笑う準備に余念がない。叩かれた側は痛いフリをしながらも、俺自身がおもしろいわけじゃないのに楽しい奴だと思われて株が上がるぜウッシッシ~と教師を引立て役にする強かさを備えていた。

 

ただ、大人げない先生の場合、何度か時間差攻撃を仕掛け本人が気を緩めた隙に尖ったその角を頭めがけておもいきり振り下ろした。西部劇のガンマンよろしく、銃は抜くタイミングが一番大事なんだぜとその学び舎は伝えたかったのかもしれない。

 

本来、中身の文字で道理を教えるはずがそれ以外の部分を多用されて教科書もさぞご立腹だったろう。良い悪いの問題は置いておくとして、その光景はどこか微笑ましかった。そしてその微笑ましさの正体はきっと我々と教師の信頼関係にあった。

 

あの頃は明日クビになってもいいと思いながらお前たちと接してたからな。中学3年の時の担任は言った。それは当時から分かっていた。本音でぶつかり本気で叱っていた。だから結果として、20年以上経った今でも 一緒に酒を浴びる間柄なのだろう。

 

教科書を当時のようなコミュニケーションツールとして使える時代でないのは承知している。何やらとてもやりづらいと聞く。どこか醒めきった感が教師と生徒のあいだに流れているのかもしれない。ただ、教師の方から本音で接していく姿勢だけは崩さないで欲しいと願う。子どもたちはきっと待っている。

 

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