家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

ガンダムと父親とゲイバー

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友人と飲み会を開いた。話の主はガンダムと河童についてだった。

ガンダムには余り詳しくないが、どうやらガンダムの中にも本流と支流のストーリーがあるらしく、あれだけ多くのファンが惹きつけられているのは本流のストーリーにあるらしいことを会話の中から感じた。

 

やはり人は自分の好きなことを話しているときにとても良い顔をする。みんなもっと自分の好きな話をすればいいのに。

 

河童とは何者だ。まず特定しないことには話のしようがない。その場では妖怪的な位置づけとして盛り上がったが、あとから水の神様だったらしいとの報告が入った。実際に河童を見たという知人を知らない。河童とは本当にいるのだろうか。でも神様と同じように、見たことはないけどきっといるんだろうねといった存在を持つことは人生において必要だと思う。畏怖的なものを持つことで我々は調子に乗らずに済むから。

 

タオルの話もした。バスタオル、フェイスタオル、なんちゃらタオル。いろいろあるが、個人的には「1枚の布」と思っている。トイレにしか使っちゃいけないタオルとか表裏をきちんとしないといけないとかいう人の気持ちは理解できなくないが、それらを気にする余り、手を拭きたいときにタオルが掛かっていない状況になっては本末転倒。俺はただ、このびっしょびしょの手を拭きたいだけなんだ。難しい注文をしているつもりはない。

 

そんな話をしながら、ある一つの重要なことに気付いた。友人を選ぶ基準である。「可能性を話し合える人」。つまり、ああでもないこうでもないを繰り返せる相手と付き合いたいのだ。逆に言えば、凝り固まった人間は苦手。それはあんたの主観だろ?とツッコミを入れる相手はたしかにいる。近いところだと父親とか。

 

なんだかんだ言って父親のことがたぶん好きらしいから、とってもとっても残念なのだが、父親は可能性をあまり話し合えない人だ。この俺の父親なのに、どうしていろんな可能性を認められないんだろう。俺は本当にあなたの息子ですか。

 

宴が終わり、一人で先輩の居酒屋に顔を出した。これからゲイバーに行くからついてきな。先輩はそう言い、スタッフに店を任せた。あと5分遅かったらなかったな。そう言われ、自分の幸運さにほくそ笑んだ。先輩は1時間もしないうちに店に戻ったため、そのあとは面識のないゲイたちとプレイを楽しんだ。

 

客の中に、俺はゲイじゃないと言い張る男性がいた。さきほどのキーワード、「可能性を話し合える人」が頭から離れず、自分にしては珍しく知らない相手なのに絡んでいった。「ゲイじゃないって何で言い切れるんですか?」。その男性はとても良い人だったし、実は先ほどの居酒屋の先輩の、また先輩であった。

 

「今は開花していないけどゲイの素養があるかもしれないじゃないですか。自分もそうかもしれないし」。可能性を議論する俺に対し、隣に座っていたゲイが理解を示してくれてありがとう的な態度で接してきた。人間界には男と女がいて、本来ならば男は女を、女は男を好きになり、性交渉(性高尚)を交わし人間界を保ってゆく。でもどういうわけかそんな常識は無視され、彼らは男なのに男を好きになった。

 

それでいいじゃないか。ただそれだけの話じゃないか。議論することには可能性を感じるが、否定することに一体何の意味があるのだろう。たまにジェンダーとかいう言葉を振りかざして活動してる人を見掛けるが、こちらから言わせればあれはただの過激派だ。男には男の役割が、女には女の役割があるというあたりまえをすっ飛ばして性差別を持ち出すテロリストだ。

 

隣のゲイは言った。「私たちは勘違いされている。こういう店に来るとゲイに目を付けられて迫られるんじゃないかと思ってる人がたくさんいるけどそんなことはない。私たちにも選ぶ権利があるのよ。ウフッ」。最後のウフッが意味深ではあったが、たぶん俺は狙われていなかった。

 

あの晩、ガンダムや河童やタオルの話をしたあと俺がゲイバーに行くことはきっと、「空の上の大きなナニか」から見れば決まっていた行動なのだ。畏怖、畏怖、if、if。いろんなことに怖れながら、これからも可能性を話し合える相手に出会っていこう。

 

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