家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

マザコンとは「マザーコンプレックス」じゃなく「マザーコンダクター」である

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先日帰省した際、母親と金の話をした。金を貸してくれとかそういうことではなく、あなたの息子たちは金に頓着のない人間に育ちましたよと改めて報告したのである。それは母親も分かっていたらしく、一言、そうねと言った。

 

我々兄弟が金に頓着がないのは実家が裕福だったから。「最後は親に言えば何とかなるだろう」。実際に借りはしないでも、心のどこかにそんな余裕があった。そういう意味で裕福だったと言える。

 

実家は市営住宅。両親は共働きだった。習い事はほぼナシ。中学からは新聞配達をし、自分たちのモノは自分で買っていた。高校は二人とも県立に進学。今考えると、金の掛かるところがほとんどない。それもあってか、両親は自分たちの稼ぎを自身のために使った。父親は40万円もするクラシックCDセットを急に買ったり、母親は高級な仕事着を毎月のように買っていた。「市営住宅や県営住宅は貧しい人が住むもの」というあの話は、きっと半分嘘なのだ。

 

母親は会計事務所に勤めていた。確定申告前になるといつも仕事の書類を家に持って帰り、ほぼ徹夜でそれを仕上げていた。「リビングのこたつで仮眠を取る母」。その光景が一番思い出される。母親は仕事が好きだと言っていた。幸せな女性だと思う。でもその好きな仕事のせいで、子どもたちと一緒に過ごせなかったのも事実。

 

今でもたまに、お母さんがもう少し母親らしくしてやれてたら・・・と漏らすことがある。本人はとても悔やんでいるらしいが、幸運なことにウチの場合、そのおかげで息子たちは今のような人間性になれている。不要な後悔である。

 

母親が大好きだ。大好きならば近くにいて、事あるごとに実家へ顔を出しその大好きな母親を喜ばせてあげればいいではないか。そんな風に思わなくもない。ただ、大好きであるからこそたまに会う関係があってもよい。以前親友が言っていたことが思い出される。「写真が1枚も残っていない友情ってのもアリじゃないか」。大切だと思う気持ちはいろんな形で表現できる気がするのだ。

 

結婚式のとき、新郎から両親への挨拶の冒頭で俺は言った。「二人の最高傑作、二男坊の話を少しだけ聞いてください」。対面で言うのはこっ恥ずかしいけど、第三者というクッションを100個くらいカマすことによって自分の思いを正直に伝えられた瞬間だった。

 

「マザコン」。正式名称マザーコンダクター。巷で言われているようにマザーコンプレックスではない。マザーコンダクターを直訳すると、母親を素敵な空間へいざなう添乗員、となる。これからも素敵な空間へといざない続けるべく、俺は過酷な検定試験を突破していくつもりだ。

 

母親と話し始めたのは深夜0時を回っていた。軽く2時間は話しただろうか。母親はぼちぼち70代を迎える。彼女が生きている間にあと何回帰省し、あと何回こういう時間を持てるだろうか。

 

翌朝、嫁を通じて、遅くまで話に付き合わせてごめんねと言われた。マザーコンダクターには失礼にあたる言葉だった。金に頓着のない息子たちは、これからも価値あるものをきちんと見定め、そこに金を使うことで更なる成長を果たしてゆく所存です。

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