家族デーゲーム

親孝行の正体を探っていくブログです。

大切に思う気持ちをどう表現するか

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友人の家族数組と一泊旅行をした。事情があって今回はソロでの参加となった。行きの車中、なかなか妊娠できないことを焦る女性の心理の話になった。高齢であるなどの理由を除いては、その焦りや不安の正体は「常識や他者との比較」によるものだろう。比較しなければ、焦ったり不安になる理由はそこまでないような気がする。

 

結婚してこれくらいでできるのが普通。何歳までに産んでいないといけない。精神にあまり良い影響を及ぼさないそのようなことを真剣に考えているらしい。ただ、必要以上に悩んでいる女性にかぎって、基礎体温を測っていなかったり病院でちゃんとした検査を受けていなかったりする。コウノトリが運んでくるというおとぎ話もしくはオカルトを本気で信じているのかもしれない。

 

子どもは全部で五人だった。5歳が二人、2歳が一人、1歳が二人。5歳は知らないが、それ以外ついては自分も子育て経験済み。グズる様子を見ながら己の記憶と重ね合わせる。夜中に2歳の子どもが泣いて止まない時間帯があった。

 

自分には日常のサウンドだったからお構いなしに熟睡したが、これから子どもを持ちたいと願う人間がもしあの場にいたら、その願う気持ちは半減しただろうか。その泣き声のBGMを聴きながら、同じ2歳である我が子に早く会いたいと少しだけホームシックに掛かった。

 

帰りの車中、土地の話、家の話、お墓の話になった。どれも我々を縛り得る可能性の高いものに思う。先日知人から、代々継いできた土地や家に固執するあまり家族数人が精神的にマイッた時期があったと聞いた。最終的にその土地らを手放すことで解決したらしいが、最後まで抵抗しその不幸を長引かせたのはお婆ちゃんだったとの事。

 

そのお婆ちゃんには大変申し訳ないが、一番重要なのはこれからの時代を生きる人たちが健全に暮らすことであり、子孫のことを大切に思うのであれば早く身を引くべきだっただろう。

 

お墓のコストパフォーマンスは最高に悪い。こんなことを言うと先祖への冒涜だと叱られるだろうか。でもこれは正しくなかったとしても間違ってもいないと思う。年に1・2度、もしかすると数年に1度しか接することのないモノに大金を掛けることが、これからの時代を生きる人たちが健全に暮らすことに寄与するだろうか。

 

自分はラッキーだった。両親から墓を大切に継いでくれとも、我々の老後を見て親孝行してくれとも言われていない。理由を尋ねた。おまえたちの納得のいく形を取ってほしいから。そういうことだった。ありがとう。もちろんそうするし、我が子にもそれを望む。良いことは受け継ぎ、足枷になるものは断ち切る。それが生きるってことじゃないのかい。

 

その昔、なぜ男の子を産めない女性が責められたのだろう。どうでもいいのに、そんなこと。盆や正月の帰省時に夫の実家から帰るのがヨシとされる風潮。どうでもいいのに、そんなこと。その縛りを決めたのはどこの誰なのか。その人間を突き止めて、仕返しに「不自由の女神」とかいって見栄えの悪い銅像でも立ててやろうか。

 

我が子を愛しているとか、先祖にあまり縛られるなとか、支離滅裂なことを言っているように映るかもしれない。ただ、自分の中では一貫した考えの下、アレコレ書き連ねたつもり。とにかく多くの人がいろんな縛りから解放されることを願って筆を置きたい。

 

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