青春のあいうえお
おまえ、溶接するぞ。
工業高校在学中のある日、校内で喧嘩する二人の片方から発せられた言葉である。覚えたての溶接をここで使うのかと面喰らったことが思い出される。いくら日本人が定住型の民族であるとは言え、そこまでするのは酷じゃないか。ボコボコにするぞ!とベタに言われた方がまだ将来を悲観しなくて済む。そんな余計な心配をしてやったものだ。
高校の頃はまだヤンキー文化が残っていたから、今はこっち側に付いたほうが良さそうだといったような策略を立てる人間がチラホラいた。ただ当時からその手の話にはまったく興味がなかったので、鼻をほじりながらお笑いの番組を見ることに時間を費やした。これからはおもしろい奴が残っていくんだ。誰からも言われなかったが、頑なにそう信じていた。
その雰囲気が前面に出すぎていたのか、おまえの平和主義なところが気に入らないと殴られたこともあった。なんちゃら主義という小難しい言葉を使うそいつはきっと勉強するタイプのヤンキーだったに違いない。世の中にはまだまだ多くのなんちゃら主義が存在する。それらを記憶するのに大切な脳みそを傷つけては男が廃る。俺は軽く微笑んでそいつを許してやった。
大人の世界でいうところの肩書きと収入に通じるのだろうか。子どもは子どもで何によって評価されたいかを懸命に模索していたのかもしれない。それが時にケンカすることであったりまわりを笑わせることであったり。そんな時代を経た大人として今できることは、ケンカの勝敗を溶接で決めるような若者が町に溢れないよう、小まめに巡回することである。